
〜サービス低下を招いていないか〜
懐かしい仲間が集まり恩師を囲む会を神戸で開いた。そのために久しぶりに高速バス乗り場でバスを待っていた。チケット売り場で大きな声がするので振り返ると、ある男性が事情は分からないが怒っている。会話ははっきりとは伝わってこないが、最後に「『上に伝えます』くらいは言えないのか」と捨て台詞を吐いてカウンターを離れた。聞いてはならない、見てはならないものを見てしまったような後味の悪い複雑な気持ちになった。
そう言えば営業の最先端で消費者の声を聴くのは窓口業務の方であったり、それぞれの集金業務に携わる人々であったり、それは小さな苦情処理の場でもあったのだ。顧客にはいろいろな事情のある方、それは思いもよらない、予測しなかった事柄であることも少なくはない。要望が時には愚痴として話されることもある。多くは例外的なことであり、取るに足らないことであることが多いものだが、的を射た指摘であることもないことはない。
私の家の場合も、電気に水道、電話に新聞など銀行からの引き落としである。わずかに牛乳代金は集金に来ている。本当に短い時間ではあるが、「寒いのにごくろうさん」と言えば「端数まで準備して・・」と会話がある。季節のあいさつ程度だが、伝わるものがあり、要望があれば伝えることだって可能である。無駄と思われるような会話に日頃思っていることを消費者は伝えることができたのである。
お客様相談窓口へ電話の経験のない方も多いと思われるが、多くは機械音のような女性の声で「○×は何番の番号を、××なら何番の番号を・・・」などの声に言われ誘導されてやっと目的の話になる。時には腹が立って電話を切って手紙やはがきを送ることもある。修理や調べに来る人は下請けであり、余分なことの修理や補修の相談をされないように身構えている。会社からの指示以外のことをしても手当にならなくサービスになるのである。
「ほうれんそう」とは報告、連絡、相談だが、多くの上司は事故の後に口にするが、本音は違う。そのような部下は「(阿波弁で)とろこい奴だ。自分で処理しろ」と叱責や罰点を与える。憶測だが、高速バスチケット売り場の店員さんが上司に伝えるシステムにはなっていないのだろう。今日のここでの会話は上に伝わることもなく聞き捨てられる。下請け・孫請けは上部の会社に気楽には言えない立場にある。
昨今、消費者の声はすぐに関係機関に届きそうに思うが、窓口で留まっていることは多いのである。事あるときに初めて表面化して、終われば元のままである。システムはすぐに復旧・復元するのである。気が付けば身の回りは、関連会社から切り離した子会社の外注会社が我々の窓口になっている。親の本社に届くには、いく山に川を乗り越えないと行きつかないシステムの世の中である。
徳島広域消費者協会・会員 三原茂雄